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更新情報「福島の声を聞こうvol.3」報告(追伸も含む)

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みなさま

昨夜はセッションハウス・ガーデンでのトークの会『福島の声を聞こう』、第3回目を催しました。
トークの会のタイトルは福島ですが、今回は福島に準じて放射線量の高い、宮城県南の丸森町筆甫(ひっぽ)からの声でした。
ゲストスピーカーは東京からIターンで丸森に暮し、17年になる太田茂樹さんです。
太田さん夫妻は、そこで4人の子供たちを育てながら、「山の農場&みそ工房SOYA」を営んできました。

始めに太田さんは、東京で生まれ育ち農業との縁もなかったのに、宮城県丸森に居を固め、今の暮しを選んで生きようと思った軌跡を話されました。
大学で環境社会学を学び研究者の道を歩み始めたのですが、それよりも〝自然が豊かな場所で実践者として生きたい〟と方向転換して、丸森に移住しました。
移住先に丸森を選んだ理由は、もともと西よりも北の地方を志向していたことと、福島原発からも女川原発からも距離が離れていることもありました。
無農薬で米、大豆を育て、自家栽培した米や大豆で味噌を造り「一貫造り」と名付けて販売し、町内外に顧客を増やしネットワークを築く中で、東京から来訪した未弧さんと結婚しました。
地域活動にも積極的に参加して地域に溶け込み、丸森への移住希望者と現地の橋渡し役も担って来ました。
無農薬で除草剤も使わずに造る米は、列をなして植えた稲の間の縦、横の隙間を除草機で草を鋤きこんで取り除き、機械では採りきれない根元の周囲の草は手で抜き、造って来た米です。
そのようにして築いてきた農の暮しに、放射能が降り注いでしまったのです。
原発事故直後には丸森の状況が掴めなかったので、子供たちをすぐに避難させようと考えなかったが、その後ネットや友人たちから情報を得て、学校が春休みになるのを待って妻子を東京に避難させました。
茂樹さん自身はここを選んで住み、地域の人たちと共に生き、味噌を造ってきた思いからこの地を離れることは考えにくく、けれどもそうした自分の思いに妻子を付き合わせていいのかと、深く悩み自問しました。子供たちを連れて東京に避難した未弧さんもまた、このまま避難生活をするのか丸森へ戻るか考え悩みましたが、夫婦で話し合った末に出した結論は、「家族で丸森で暮らしていこう」でした。
そして二人は「筆甫に残ると決めたからには、子供たちのために出来る限りのことをして行こう。我が子のためばかりでなく地域の子供のため、地域のために出来る限りのことをして行こう」と決めたのでした。
茂樹さんは宮城県南部の仲間たちと「子どもたちを放射能から守るみやぎネットワーク」を立ち上げその代表になりました。
ネットワークでは、国や県、市町村などの行政、議会に対しての「要望」活動、講演会や上映会を通して放射能の不安について気軽に話し合える場の提供といった「知る」「つながる」活動、食品測定会や空間線量測定協力、尿検査への協力などの「測る」活動、除染の指導や実践など放射線量を「減らす」活動、メディアへの働きかけやサイト、メーリングリストの運用などの「情報発信」活動に取り組んでいます。
また、高齢化している丸森筆甫の今後を考えて、廃校になった中学校を利用しての福祉施設立ち上げを考えても居ます。
それは今後の活動になっていきますが、プロジェクトは、もう始動しようとしています。

こうした報告を話して下さった茂樹さんですが、こんなことも言っていました。
「一番心にぐさっときたのは〝自分の子供を避難もさせないで線量の高い地に置いて、『子どもたちを守るネットワーク』なんかやっていいのか〟と、ネットで言われたことです」と。
茂樹さんのその言葉は、また逆に私たちの心に刺さります。
ともすれば〝部外者〟であると思い込んでいる私たちは、〝気の毒な当事者〟のことを、考えていると思い込みがちです。
そこに生きる人たちの思いを知って、その思いに寄り添いながら共に生きていくことを考えていきたいと、茂樹さんの言葉から改めて私は、強くそう思いました。
国や行政に対して声を大にして言いたいこともきっとあるでしょうに、静かに穏やかに話される茂樹さんに参加された皆さんは心揺さぶられた昨夜でした。
そして「山の農場&みそ工房SOYA」で造られた長熟味噌をお土産に頂いて、散会しました。
参加してくださった60人のみなさま、ありがとうございました。
また「丸森支援」カンパをお寄せ下さってありがとうございました。カンパ総額は43,900円となりました。その中には言叢社さんからの書籍(『フクシマ』)売り上げからのカンパもありました。ありがとうございました。
太田さんや同じくIターンで丸森で暮らす太田さんの仲間のことを、『たぁくらたぁ』27号に私は書きました。お読み頂けたら嬉しく思います。

追伸

昨日お送りした中で、大事なことをお伝え漏らしてしまいました。
太田さんが持って来てくださった配付資料の中に、「原発事故子ども・被災者支援法」のチラシがありました。
これは今年の6月21日に成立した法律ですが、長引く放射能汚染に苦しむ原発事故の被害者が置かれている状況を踏まえて、その支援・救済を目的とした法律です。
●被災者が留まることも避難することも、どちらを選択しても支援する。在留者、避難者双方に国の責任として支援を行うこと
●特に子ども(胎児を含む)の健康影響の未然防止、影響健康診断および医療費減免などが盛り込まれています。
広島・長崎の被爆問題や水俣病の被害者が長年苦しんできた点を踏まえて、被曝と疾病の因果関係の立証責任は、被災者が負わないこととされています。
その疾病が、「放射線による被曝に起因しない」ということであれば、国側がその立証責任を負うのです。
万一病気にかかっても、被害者が「この病気は放射線の影響によるものです」と立証責任を負わずに、原則として医療費の減免が受けられるのです。
この法律はすべての党を含む超党派の議員により提案され可決されました。
原子力政策を推進してきた国の社会的責任も明示した画期的な法律ですが、理念法であるため、今後、対象地域の提議づけ、基本方針、政省令の策定、予算措置なが鍵になってきます。
この法律を絵に描いた餅にしないために、この法律をもっと多くの人が知り、広めていくことが大事になります。
また、地元選出の国会議員に、支援対象地域を年1ミリシーベルト以上の地域にすべきだとか、避難先で保育所を確保して欲しいとか、遺伝的影響も加味して欲しいなどの具体的な要請を届けることも必要です。

どうぞ、「原発事故子ども・被災者支援法」を、多くの人に知らせてください。

いちえ


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